管理者について
大学・大学院では理系分野を専攻し、条件や前提を明示し、一つずつ条件を変えながら結果の変化を確かめる、そういった作業を通して、実験において前提を置かずに結果だけを見ることはできない、という感覚が身についていきました。
その後、上場企業で製品開発や設計に関わりましたが、理屈としては正しく見える設計でも、想定していた条件が少し違うだけで成立しなくなる、そんな状況下で、どの条件を前提に話しているのかが共有されないまま、「正しい」「間違っている」という判断だけが先に進むような場面を、仕事の中でも多く感じてきました。
こうした構造は、日常においても繰り返されます。
例えば、保険を選ぶとき、「万が一に備えられる」「安心できる」という説明に納得して契約したものの、実際に必要になった場面では想定していた条件が対象外だった、という話は珍しくありません。説明を聞いて理解したつもりでも、どの条件が前提になっているのかまでは確認していなかった、という状態です。
同じことは、サービスの利用、制度の選択など、さまざまな場面で起こりえます。表面上は筋が通って見えても、前提が曖昧なままでは、判断は簡単にすれ違い、失敗として表に出てしまう。
そうした経験や違和感を重ねるうちに、結論そのものではなく、その結論がどの前提の上に置かれているのか、そこが曖昧なままでは、議論も判断も表面だけが整ってしまい、納得して下した判断であっても、後から噛み合わなくなる、失敗に至るのだと強く感じるようになりました。
現在は転職し、別の環境に身を置いていますが、判断の前に立ち止まり、前提を確かめるという姿勢を常に大事にし続けています。
当サイトについて
papacan.org では、何が正しいかということよりも、判断に至るまでの理解の過程に目を向けています。
私たちは日常的に、「分かったつもり」のまま判断していることがあります。
理由を説明できないのに納得してしまったり、前提を確認しないまま結論だけを受け取ったりする。
このブログは、そういった状態のときに、少し立ち止まるための場所です。
なぜこの視点なのか
合理的に考えているつもりでも、判断は簡単に歪みます。感情に流されたから、知識が足りなかったから、という理由だけでは説明できないことも多いと感じています。
理解の途中が省略され、その省略に自分で気づいていないこと。そこに判断のズレが生まれるのではないかと考えており、日常を例に思考を整理し、言葉にしています。
どんなことを書いているか
このブログでは、日常の中で起きている出来事や違和感を、三つの芯のいずれかの視点から切り取り、記事にしています。特別な専門知識や極端な事例ではなく、誰の身の回りにもある判断や理解のつまずきを題材にしています。
判断がなぜ歪んだのか、「知っているつもり」になったのはどこか、考え直すとしたら何を見直すべきかといった点を、結論ではなく過程に目を向けて記載しています。
読んでいただく前に
読んでいて、「すぐに役に立つ答えが欲しい」と感じる人には、回り道に見える部分もあると思います。
一方で、自分の判断をもう一度確かめたいと感じている人には、考えるための材料になるはずです。
考えを押しつけるつもりはありません。判断の前に、少し立ち止まるための視点を置いておく。
それが、このブログの役割だと考えています。