仕事や日常の中で、「なぜあの判断をしてしまったのか」「後から考えると、別の選択肢もあったはずだ」と感じた経験は、多くの人にあります。
こうした迷いや後悔は、能力や経験の不足が原因だと思われがちです。
しかし実際には、答えを知らなかったことよりも、理解したつもりで物事を見ていたことが原因になっている場合が少なくありません。
本記事では、人が「理解したつもり」になるとき、見方がどのように固まり、その結果、判断がどのように歪んでいくのかを整理します。
目的は、正しい答えを示すことではありません。見方を言語化し、整理することで、判断の幅を広げるための入口をつくることです。
「理解したつもり」とは何か
人は、情報を得た瞬間に安心します。理由が分かった、背景を知った、説明を聞いた。この時点で、多くの場合「理解した」と感じます。
しかし、ここで起きているのは、理解そのものではなく、理解したという感覚です。
- 理由を一つ知った
- 説明として筋が通っている
- 自分の中で納得できた
これらが揃うと、人は思考を止めます。別の可能性や、他の見方を検討しなくなります。この状態が、「理解したつもりで見方が固定されている状態」です。
見方が固定されると何が起きるか
見方が固定されると、次の変化が起きます。
- 事実を集めているつもりでも、 実際には自分の見方を補強する情報だけを拾う
- 違和感があっても、「そういうものだ」と処理してしまう
- 判断の選択肢が、最初から狭くなる
この時、本人は「よく考えて判断している」と感じています。
しかし、実際には考える前提そのものが固定されているため、判断はすでに制限されています。
判断が歪むのは、感情に流されたからでも、合理性が足りなかったからでもありません。
見方が一つに固まっていたそれだけで、判断の幅は大きく狭まります。
なぜ人は見方を固定してしまうのか
見方が固定される理由は、珍しいものではありません。
- 早く結論を出したい
- 不安を減らしたい
- 正解があると思いたい
こうした心理は自然なものです。だからこそ、「理解したつもり」は誰にでも起きます。
問題は、その状態に気づかないまま判断を続けてしまうことです。
見方が固定されていることに気づかなければ、判断を見直すこともできません。
見方を整理するために必要なこと
ここで重要になるのが、言語化です。
- 自分は、何を前提に考えているのか
- どこまでを「分かったこと」にしているのか
- 分からない部分を、分からないままにしているか
これらを言葉にして整理すると、「理解したつもり」の輪郭が見えてきます。
言語化は、答えを出す作業ではありません。見方をそのまま外に出し、一度立ち止まって確認する作業です。
この過程を通して、初めて「別の見方があるかもしれない」という余地が生まれます。
判断の幅は、こうして広がる
判断の幅が広がるとは、正しい選択ができるようになる、という意味ではありません。
- 他の選択肢を検討できる
- 迷っている理由を理解できる
- 決めきれない状態を受け入れられる
こうした状態になること自体が、判断の幅が広がっている証拠です。
papacan.org では、この「見方が広がっていく過程」そのものを扱っています。
このサイトについて
papacan.org は、理解したつもりで固まった見方について、改めて考え、整理し、言語化することで、判断の幅を広げることを目的としています。
この記事は、その入口です。
別の記事では、仕事、評価、感情、社会の出来事など、さまざまな題材を通して「見方がどのように固まり、どう揺らぐのか」を扱っていきます。
気になったテーマから、読み進めてみていただければ幸いです。