世の中の「正解」より、

自分の「納得」を。   
Concept当サイトの指針
「正解」を選んだはずなのに、どこか心が追いつかない。そんな曖昧な気持ちを整理し、確かな「納得」に変えていく。思考の整理から日常の選択まで、自分の人生をハンドリングするためのパーツとして言語化していくことを目的としています。    

判断の質を支える三本の柱

思考のOS
思考のOS

人は日々、無数の判断をしています。仕事の選択、人との関わり方、何を信じるか、何を疑うか。その多くは、深く考えた結果というより、「これでいいだろう」という感覚で決まっています。

ここで一つ問いがあります。

その判断は、本当に自分で引き受けられるものだったでしょうか。正しい答えを知っていた。説明を聞いて納得した。周囲も同じことを言っていた。

それでも後になって、「なぜあの判断をしたのか説明できない」「どこか腑に落ちていない」と感じることは珍しくありません。

この違和感は、判断力が足りないからではありません。多くの場合、判断に至る過程のどこかが、整理されないまま終わっているだけです。

判断は、理解したつもりになる段階があり、歪みが入り込む段階があり、その歪みと付き合い続ける段階があります。これらを区別せずに「ちゃんと考えよう」とすると、判断は気分や勢い、安心感に引き戻されます。逆に、この違いを理解すると、自分の判断がどこで揺らいでいるのかが見えるようになります。

そのために必要な考え方として、三本の柱があります。

これらは、考え方の流派でも、性格論でもありません。同じ一つの判断を、「どの瞬間を見ているのか」という違いで切り分けたものです。

三本の柱とは何か

ここで言う三本の柱は、次の三つです。

① 答えを知っただけで、理解したと錯覚すること

② 判断が歪む理由

③ 歪みを前提に、どう考え続けるか

これは考え方の好みではありません。同じ一つの判断を、三つの段階に分けて見たものです。

三本の柱は、判断の「違う段階」を扱っている

三本の柱は、考え方の種類を並べたものではありません。

同じ一つの判断を、違う位置から照らしています。

ここでは、それぞれが判断のどの段階を扱っているのかを整理します。

①は「理解したと思い込む瞬間」を扱う

①が指しているのは、人が「分かった」と感じたその感覚そのものです。

答えを知ったことで安心し、理由を自分で組み立てる前に思考を終えてしまう。

①は、判断が成立したあとに生まれる錯覚を言語化する柱です。

①を理解すれば、「理解したつもりになる」という状態が、判断を早く止めてしまう一つの段階だと捉え直せます。

②は「判断が歪んでいく仕組み」を扱う

②が指しているのは、判断が作られていく途中で起きる歪みです。

情報の偏り。安心感による思考の省略。分かりやすさへの依存。

②は、なぜ人の判断が自然に歪んでしまうのか、その構造を扱う柱です。

②を理解すると、自分が感じていた違和感が、「判断そのものがおかしい」のではなく、判断の途中で生じたものだと分かるようになります。

③は「歪みと付き合い続ける姿勢」を扱う

③が指しているのは、歪みをなくす方法ではありません。

歪む前提で、どう考え続けるか。どう判断を引き受けるか。

③は、判断を他人や空気に預けずに保つための柱です。

③を理解すれば、錯覚が避けられず、歪みも入り込む以上、判断を投げ出さずに考え続けるしかない理由が見えてきます。

なぜ三本を行き来する必要があるのか

①だけでは、気づきで止まります。

②だけでは、説明で止まります。

③だけでは、覚悟の話に見えます。

三本を行き来することで、判断は「理解」「構造」「向き合い方」として立体的になります。

三本柱が支えているもの

三本が支えているのは、正しい答えではありません。

三本が支えているのは、正解に近づくための判断ではなく、自分のものとして引き受けられる判断の質です。

この記事は、判断の質を高めるための、判断の全体像を整理するための場所です。

最後に

三本の柱を知っても、判断が正しくなるわけではありません。

迷わなくなるわけでもありません。

ただ、これまで一つに見えていた判断が、「理解したつもりの部分」と「歪みが入り込んだ部分」と「それでも引き受けようとしている部分」に分かれて見えるようになります。

その違いが見えたとき、人は簡単に答えに飛びつけなくなります。同時に、自分の判断から逃げにくくなります。

三本の柱が変えるのは、感情ではなく、判断の質です。

参考