世の中の「正解」より、

自分の「納得」を。   
Concept当サイトの指針
「正解」を選んだはずなのに、どこか心が追いつかない。そんな曖昧な気持ちを整理し、確かな「納得」に変えていく。思考の整理から日常の選択まで、自分の人生をハンドリングするためのパーツとして言語化していくことを目的としています。    

答えを知っただけで、理解したと錯覚する判断の危うさ

コンセプト
コンセプト思考のOS

正しい答えを知ることは、安心に繋がります。

問題は、その安心によって「理解した」と判断してしまうことです。答えを知った瞬間、私たちは前提や条件を確かめることをやめ、その判断を自分のものとして引き受けないまま、次の行動に進みやすくなります。

これは考えない人の問題ではありません。考えているつもりのときほど起きやすい、判断の錯覚です。

判断は「答えを知る」だけでは完了しない

判断は、答えを見た瞬間に完了しているわけではありません。私たちが何かを決めるとき、そこにはいくつかの過程があります。

まず、目の前の出来事をどう捉えたか。次に、それを安心できるものと感じたか、不安を感じたか。そして最後に、その判断を自分の選択として引き受けたかどうか。

多くの判断の不安定さは、この過程が省略されたまま進んでしまうことから生まれます。答えを知っただけで判断が終わった気になるのは、この省略に気づいていない状態です。

納得とは「自分の判断として引き受けられる状態」である

まず確認すべきなのは、納得とは何か、という点です。納得とは、誰かの答えを信じることではありません。正しいと説明されて安心することでもありません。納得とは、その判断を自分の選択として引き受けられる状態です。

答えを知っても、「なぜそう考えるのか」を自分の言葉で説明できないなら、その判断はまだ自分のものになっていません。

迷いや後悔が残る判断の多くは、この段階に到達していないことが原因です。

人は正しさよりも「安心」を優先してしまう

納得に至らない理由は、能力や努力の問題ではありません。人は判断の場面で、正しさより先に「安心できるか」を確認します。

不安が強い状態では、どれだけ筋の通った説明でも受け取れません。答えを知った瞬間に得られる安心は、判断を早く終わらせる力を持っています。

その結果、前提や条件を確かめる前に結論だけを受け取り、「分かったつもり」になってしまう。

萎縮、同調、沈黙、先延ばし。

これらはすべて、安心を優先した判断の結果です。間違いではありませんが、納得に到達する前に止まってしまうという共通点があります。

私たちは事実ではなく「解釈」を見て判断している

さらに根本的な問題として、判断の出発点そのものがずれている場合があります。

私たちは出来事そのものではなく、それをどう意味づけたかを見ています。しかし多くの場合、その意味づけを事実だと思い込んでいます。この状態では、どれだけ説明を重ねても話は噛み合いません。前提として見ているものが違うからです。

答えを知っただけで理解したと錯覚する判断は、この「事実と解釈の混同」と強く結びついています。前提を確かめないまま結論を信じるほど、判断は修正しにくくなります。

すべての判断は、この三点に戻れる

判断がうまくいかない理由は複雑に見えますが、実際には次の三点に集約できます。

その判断を自分で引き受けているか。

安心を優先しすぎていないか。

事実と解釈を混同していないか。

日常の迷いでも、仕事の判断でも、社会的な問題でも、判断に違和感が生じるときは、必ずこのどこかが曖昧になっています。

このサイトが扱っているテーマ

papacan.org は、答えを集める場所ではありません。扱っているのは、答えをどう受け取り、どう判断しているかという視点です。

理解したつもりになっていないか。

安心のために考えることを止めていないか。

その判断を本当に自分のものとして引き受けているか。

個別の記事はすべて、この三つの視点のいずれかに立ち返るために書かれています。

結論

答えを知ること自体は、悪いことではありません。問題は、その答えを理解したと錯覚し、考える工程を省略してしまうことです。

考えるとは、正解を探すことではありません。自分の判断として引き受けられる形に、答えを置き直すことです。

この三つの視点が、判断を見直すための基準になります。

参考