仕事や日常の会話の中で、「理屈としては正しいはずなのに、なぜか話が通じない」「正論を言っているのに、相手が納得してくれない」と感じたことはないでしょうか。
こちらは合理的に説明しているつもりなのに、議論は噛み合わず、相手は感情的になり、結局その場は平行線のまま終わる。そんなやり取りに、ストレスや違和感を覚えた経験は、多くの人にあるはずです。
合理性は、現代社会において極めて重視されている価値観の一つです。
無駄を省き、効率を高め、失敗の確率を下げる――合理性は、仕事の進め方や制度の設計、評価の仕組みなど、さまざまな場面で「正しさ」を判断する基準として機能しています。
しかし、一方で私たちは誰しも、合理性だけでは物事がうまく進まない瞬間に直面します。理屈としては正しいはずなのに、なぜか相手に通じない。その違和感の正体はどこにあるのでしょうか。
本記事では、「正論が通じないのはなぜなのか」という問いを出発点に、合理性だけでは説明しきれない理由と、合理性との向き合い方について考えていきます。
目次
なぜ正論=正しいとは限らないのか?
合理的であることは、しばしば「正しい判断」と同一視されます。無駄がなく、説明ができ、効率が良い。そのため、合理性を満たしているというだけで、結論そのものが正当化されがちです。
しかし、合理性が示しているのは「筋が通っているかどうか」であって、「それが本当に正しいかどうか」ではありません。合理性は判断の質を高める要素ではありますが、正しさそのものを保証するものではありません。
正論が噛み合わない原因は「前提のズレ」にある
合理的な判断には、必ず前提条件が存在します。
条件が同じであること、評価軸が共有されていること、そして目的が明確であること。これらが揃って初めて、その判断は「合理的だ」と言うことができます。
しかし、前提が変われば、同じ判断であっても合理性は簡単に失われます。それにもかかわらず、前提を十分に確認しないまま「合理的だから正しい」と結論づけてしまうと、現実とのズレが生じます。合理性は決して絶対的な基準ではなく、あくまで状況に依存した考え方に過ぎません。
この前提条件が、当事者間で完全に共有されていないことが、「合理的なのに納得できない」と感じてしまう大きな理由の一つです。
合理性を優先しすぎると人の気持ちが置き去りになる
合理性とは、「与えられた目的に対して、無駄が少なく、筋が通り、効率のよい方法を選ぶ考え方」です。つまり、目的がすでに決まっている状態で初めて力を発揮します。
目的が曖昧なまま合理性だけを追いかけると、効率よく進んでいるのに、どこに向かっているのか分からない状態になります。
合理的であること自体を目的にしてしまうと、本来達成すべき価値が置き去りになるのです。
では、合理的自体を目的とした場合、つまり、合理性を最優先にした場合、どうなるのか。
人の不安、納得感、信頼といった、説明しにくいものや測れないものは、価値が低いと見なされ、その結果、「合理的ではないから」という理由で、人や事情が切り捨てられます。
合理性は万能ではない|あくまで判断のための道具
合理性は、判断をより良くするための道具です。道具である以上、使う側が目的を持っていなければ意味を成しません。
どの選択肢が目的に近づくのかを整理するために合理性を使うのであって、合理性そのものを満たすために判断を下すわけではありません。道具が主役になった瞬間、判断は現実から浮き始めます。
合理的でなくても正しい判断が存在する理由
現実の判断では、合理的でない選択が結果として正しかった、ということが起こります。それは気まぐれではなく、合理性では拾えない要素が現実には存在するからです。
合理性は重要ですが、それで世界のすべてを説明できるわけではありません。合理性の外側にある価値を認めることは、合理性を否定することではなく、正しく位置づけることです。
正論が通じない場面で、合理性とどう向き合うべきか
合理性は、現実を分かりやすく整理するための考え方ですが、現実は合理性だけで説明できるほど単純ではありません。合理性が捉えられるのは、前提が定まり、目的が言語化された範囲に限られるため、現実は常に、その外側をはみ出しています。
私たちが合理的な判断に違和感を覚えるとき、それは理性が間違っているのではなく、理性だけでは捉えきれない領域がそこにあるのかもしれません。合理性では測れない価値――納得、意味、関係性、信頼――は、非合理なのではなく、前提化されていないだけなのです。
合理性を絶対化することは、世界を単純化することでもあります。その単純化は、理解を助ける一方で、必ず何かを切り捨てます。だからこそ、合理性は絶対視されるべきものではなく、常に問い返されるべき思考の道具でなければなりません。
では、合理性とどう向き合えばいいのでしょうか。
それは、合理性を判断の「根拠」にする前に、思考の「途中」に置き続けることです。合理的かどうかを問う前に、その合理性の前提や目的を問い、合理性が語らないものにも耳を澄ます。その往復の中でのみ、合理性は思考を前に進める力になります。その姿勢こそ、合理性を最も合理的に扱う合理的な向き合い方なのだと思います。
参考
- 理解したつもりで判断が歪む理由 ── 見方を整理し、判断の幅を広げるために 本記事で扱った「論理は正しいのに通じない」という現象は、相手や自分が前提を理解したつもりになり、見方が固まっていることが原因で起こります。判断がどの段階で歪むのかという全体像は、この記事で整理しています。
- 判断の質を支える三本の柱 論理が通じない場面では、「事実の理解」「前提の共有」「感情の扱い方」のどれかが欠けています。本記事の内容は、三本の柱のうち特に「理解」と「前提」に関わる部分を具体化した例です。
- 答えを知っただけで、理解したと錯覚する判断の危うさ 正しい論理を提示しても話が通じない背景には、「知っている=理解している」という錯覚があります。本記事で述べたすれ違いは、この錯覚が原因で起きる典型例です。
- なぜ私たちは、事実ではなく「解釈」を見て判断してしまうのか 論理が噛み合わないとき、人は事実そのものではなく、自分なりの解釈を前提に話を聞いています。本記事の「通じなさ」は、解釈同士がぶつかっている状態として整理できます。